運営者のプロフィール

プロフィールの訪問ありがとうございます。

ニートの父親・毒親の母親のもとで育った一人っ子のアラサー女性です。

辛い家庭環境から虚言癖になり、夫との出会いから徐々に救われて、自分の過去と向き合い、虚言癖から解放されています。

現在は、夫と二人暮らしをしながら、実家と適切な距離を保ちながら暮らしています。

目次

ニートの父親

私の父は、物心がついた時から定職にはついていませんでした。

ニートを2年してから、アルバイト3ヶ月のような日々を繰り返していました。

いつも職場で不当な扱いをされたと言って、仕事をやめます。そもそもいい年をしながら、なんのスキルもなく、派遣やアルバイトしているだけなのに、人に敬ってもらいたいとか言っていたので、仕事が長続きしないのも当たり前な人です。

そして、50歳過ぎてからは、アルバイトに出かけるのも嫌になったのか、ずっとニートが続いています。

今の時代は在宅勤務などがありますが、昔は家にお父さんがいること自体おかしいとされていたので、友人がたまたま家に来て、父が平日に家にいるのを見て、「お父さん働いてないの?」と言われるのが本当に苦痛でした。

また、学校では当たり前のように、「お父さんの仕事は?」という話題が出るので、いつも「普通のサラリーマン」と言って誤魔化していました。思えば、この頃から虚言癖があったのかもしれません

ニートの父親の存在は、私自身が無能で、底辺な人間であるような気持ちにさせました

それだけでなく、結婚して家から離れた今でも、時々脳内に「父がニートだから、私も価値のない人間だし、幸せになんてなれるわけがないし、一生貧乏だ。」という考えが浮かんできます。特に夜中になると、まるで呪縛のように脳内をこのフレーズが駆け巡るほどです。

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私を操る毒親の母親

私の母は看護師で、ニートの父親の分まで働く頑張り屋さんでした。

しかし一人で一家を支えるのがあまりにも辛かったのか、情緒不安定で娘の私の人生を操ろうとする毒親でした。

私は母が毒親であることに気づいたのは大人になってからですが、それでも母には感謝の気持ちしかありません。ただ、冷静になってみると、母は私の人生を操ろうとしていて、私自身の幸せについて一回も考えてくれていないように思います。

いつも父の愚痴を聞かされていた私は、ある時「離婚をしたらいいよ。お母さんが幸せにならないと。」と言ったことがあります。その時、母には「離婚したらあの人生きていけないよ。あなたは私を人 殺 しにしたいの?おかしいよ。そんなこと言って。そもそも離婚しないのは、あなたがいるからでしょ。子供を産んだ時から私の不幸が始まったのよ。」と言われました。心にグサッと刺さる言葉でした。

今でもその時の言葉、情景、匂い、感情をはっきりと思い出すことができます

「私はあなたがいるから離婚できないの。」「子供を産んだから不幸なの。」「娘なら母親の誕生日を盛大に祝うでしょ?」「どうして〇〇してくれないの?」「勝手にすれば良いよ。あなたなんてどうせ何もできないんだから。」などなど思い返せば苦しくなる言葉ばかりです。

家庭環境のコンプレックスから虚言癖に

私は一人っ子で、話を共有できる兄弟がおらず、父方の祖父母は早くに亡くなり、母方の祖父母は優しい人でしたが、北海道の田舎にいて、遠く離れていたので、ほとんど味方がいない状況でした。

自己肯定感は低かったですが、周りに嫌われないために、明るい子供を演じていました。いつも笑顔でいたり、周りに意見を合わせたり、必要以上にリアクションを取ったりしていました。

それもあって、友人はそこそこいた方ですが、みんなで旅行に行こうとなってもお金がないから行けないし、家に遊びに来るとなっても家庭環境を知られるのが嫌だったのでできず、深い付き合いになる友人はいませんでした

ただ、学校で普通の家庭環境を演じようとするあまり、小学生の頃から虚言癖気味になっていました。

「父は良い会社で勤めているよ。」「父がボーナス出たから家族旅行に行くんだ」「うちの両親が結婚記念日だから家族で外食するの。」など。

もちろん全て嘘です。父がボーナスをもらってきたことなど生涯で一度もないのに、その状況に憧れて口からどんどん出るようになりました。

その嘘を言っているときだけは、まるで自分が幸せな家庭で育ったかのような気持ちになれるからです。

家庭事情が筒抜けだった保育園〜小学校低学年

家庭事情が筒抜けだった保育園〜小学校低学年

保育園の頃の記憶が多くあるわけではないですが、この頃は団地に住んでいて、親同士も頻繁に関わりがあったため、私の父がニートであることは友人みんな知っていました

なので、恥ずかしい気持ちやコンプレックスはいつもありましたが、隠すために嘘をつくことはありません。

一度だけ「今日みんなの両親は何してるのー?」という話題になり、なんとなく「母は仕事で、父は休み」と言ったら、すぐさま友人たちに「いや麗子ちゃんのお父さんはいつも休みじゃん(笑)」と言われたのだけ覚えています。

このことがあってから、誤魔化しても仕方ないと思い、転校をする小学校低学年までは家庭環境に関する嘘をついたことはありませんでした。

初めて嘘をついたのは小学5年生の時に転校がきっかけ

初めて嘘をついたのは小学5年生の時に転校がきっかけ

転機があったのは、小学校5年生の頃です。団地から引っ越すことになり、転校をすることになりました。

心機一転をしたかったのか、新しい環境で自分の家庭事情を知る人がいなかったからか、ここで「父は普通のサラリーマン」という些細な嘘をつくようになりました。

この嘘を初めて口にしたときはドキドキしましたが、誰にもツッコまれなかったため安堵したのを覚えています。

だからか、最初は少し罪悪感あったものの、次第に「父はサラリーマン」「父がボーナスもらったから旅行したの!」などとまるで事実かのように言えるようになりました。

一番虚言癖がひどくなった大学時代

母の一馬力である我が家はそこまでお金に余裕がなく、中学は公立、高校は都立に進みました。

幼い頃にこんな家庭環境なら、勉強していい学校に行くことだけが救いになるよ。一度だけ会った父方の親戚に言われたことがあり、それが深く心に残っていたので、勉強には多くの時間を費やしました。

それもあり、大学は奨学金を利用しながら、早稲田大学の教育学部へと進学しました。

それまで公立・都立にいたからか、そこまで家庭環境のギャップを感じることはなかったのですが、大学に入ってから有名私立だったこともあり、周りとの家庭環境の差に驚愕しました

中高一貫の私立出身の子も多く、毎年夏休みは家族で海外旅行、20歳の誕生日にブランドバッグなど、見たことのない世界でした。

それもあって、私の虚言癖はさらに進行しました

「誕生日に父から50万円もらった。」「小さいころは別荘持ってた。」「家はタワーマンションで、車持ちだよ〜。」「父は会社やってて、母は専業主婦だったけど、最近子育て落ち着いたから、クリニックで看護師やってるよ。」など、とにかく周りに見劣りしないように、嘘が溢れるように出てきていました。

毎回嘘を言うたびに、周りの目が羨望の視線に変わるのが快感で、止めることができませんでした

しかし、あまりにも自分とかけ離れた嘘を言っていたからか、家に帰るたびに息苦しさを感じたり、夜中はずっと泣きっぱなしなことも増えていきました

たまにこの頃のカメラロールを見ますが、どの写真を見ても暗い気持ちが蘇ります。

夫と出会い虚言癖から徐々に解放

夫は、私の暗い人生に差し込んだ一筋の光です。その出会いも今考えれば運命のように思えます。

ちょっと胡散臭く感じると思いますが笑、虚言癖な自分に嫌気がさした時に、占いに何度か行きました。そこで「嘘偽りない自分でいれる場所を作りなさい。方角は東の方が良いよ。そこで一から始めれば全てうまくいく。でも絶対にそこでは嘘を言わないこと。」と言われたのです。

正直占いなんて信じない人ですが、人間悩みに悩んだ末は占いに縋りつきたくなるんですよね…。

まあそんなことがあってから、私は半信半疑で、東京駅付近のカフェでバイトをすることにしました。

バイト先では嘘を言わないようにしようと努力するよりは、明るい自分を演じないでいたら自然と言葉数も少なくなり、仕事だけ淡々とこなすだけでした。それが何よりも気楽だったんです。

夜のカフェバイトはいわゆる陽キャな大学生も多かったので、私は早朝6時からのシフトをメインに働いていました。

そこで同じく早朝バイトをしていた夫と出会ったのです。

そしてこの出会いにより、徐々に徐々に、本当に数年の時間をかけてですが、虚言癖から解放されることになりました。

当ブログに込めた想い

暗黒な幼少期・学生時代を過ごしましたが、夫との出会いが私を明るい道へと導いてくれました。出会いによって人生は本当に変わります。

そんな今でも、辛い思い出が蘇って、夜中息苦しくなることがあります。そして幼い頃の苦しい思い出から、今でも子供を持つことに恐怖を感じます。

幼い頃の出来事は、私が一生かけて向き合っていかなければいけないんだと感じています。

このブログを通して、虚言癖で悩む人・家庭環境で悩む人に対して、同じことで悩む人がいる存在を示していけたらいいなと思っています。そして少しでもそれぞれが自分のことを受け入れて、前に進む力を与えることができたら嬉しいです。

私自身は、実家と縁を切ることをせずに、適度な距離を保ちながら付き合っていますが、正直縁を切ることは悪いことではないと思います。

どうか当ブログを読んでいる全員が、自分の心を第一に考えて良い選択ができますように願っています

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